柴犬トムと多趣味な管理人の日常雑記ブログ

柴犬と管理人の趣味の日常を綴った雑記。

近年の凶悪犯罪のニュースをみて日々実感していること・・・

皆様、こんにちは。

文字尽くしになるのと宗教についても触れますので宗教を信じないという方は違うサイトへ飛んでください。

 

管理人は凶悪犯罪の根本原因が宗教の乱れにあると感じることが本当に増えてきました。安部総理襲撃事件を機に○○協会など新興宗教団体の実態や被害者からの訴えなどで実情があからさまになってきていますが、そもそも道理・文証・現証の伴ってない宗教は宗教ではなく詐欺・洗脳集団とみて間違いありません。

詐欺・洗脳集団が増えるに伴い宗教への偏見・不満が充満するから人々の心がすさんでいきやがて争いに繋がっていくのではないでしょうか?

そういう新興宗教団体の存在自体が宗教という言葉自体を忌み嫌う人々が増えてしまう原因を作っていることを考えるとその責任と罪は順次生まで続き永遠に苦しむことになるでしょう。管理人の個人見解ではなく、インドに生誕した熟脱の教主である釈尊が言っていることなので大変恐れなければならないことです。

 

そもそも宗教とは 、「宇宙の生命の道理」と訳します。

正しく生き正しく死を迎えるための曲げてはならない法則があると言っているんです。

 

仏教では、人間に生まれる確率は3000年に1度さく優曇華うどんげ)の花と同じくらいまれなのだと言われています。

せっかく仏様からいただいた限りある命をもって仏法を信じ行じ学びながら仏様から知恵をいただき自身の命を磨きながら人々を救いなさいと仏様は言われているんです。

また、人間はたくさんの生き物の命を犠牲にして命をつないでいますよね。

自分が置かれている境遇に恩恵と感謝をせずにどうして円満な死に方ができるでしょうか。自殺をするなんてもってのほかです。

 

突然ですが、今の時代をなんという時代か皆様ご存じでしょうか。

仏教用語では末法という時代にあたるそうです。

 

末法とは、釈迦が説いた教えでは救われない仏様に縁のない衆生が生まれてくる時代。

例えば奈良の大仏薬師如来像など仏像を見ても実物の大きさと芸術のすごさ感心することはあっても仏様の命を感じることはできません。

過去に釈迦に縁があるのでしたら、釈迦仏教に縁をしたとたんに過去の記憶がよみがえりすぐに成仏がかなうそうです。

 

末法釈尊が説いた教えの利益がなくなり人々の心は煩悩(貪り、瞋り、愚痴)の毒に侵された衆生で充満し争いが絶えない時代となる、これを釈尊は闘諍堅固(とうじょうけんご)と予言しています。末法時代の始まりは、釈尊が入滅してから2171年目にあたり日本では後冷泉天皇の永承7年(1052年)が末法元年となります。ちょうど平安時代の終わりごろになります。鎌倉時代に入り各宗派の僧侶も仏法に迷い祈祷をしても大地震、飢餓、疫病が増長していき各宗派へ祈祷を命じた北条時宗は若くして原因不明の夭死。当時の最高権力を誇っていた平左衛門尉頼綱も謀反をおこし一族そろって死罪。末法衆生が釈迦仏教を信仰しても利益がないばかりか、かえって諸仏の怒りを買い大地震、飢饉、疫病、他国侵逼難などが増長し国が亡びると釈尊が予言したとおりの出来事が当時起こったわけです。やがて戦国の世へと入り江戸幕府明治維新、大正、昭和の大戦争、そして現在に至っていますが人々の心はすさんでいく一方で政治も全然国民のための政治になっていないですよね。

 

最近のニュースを見ていても、子が親を殺したり老人女性が投資で首が回らなくなりお金欲しさに結婚詐欺を繰り返し青酸カリで夫を殺したり、内縁の夫が幼児を暴力でねじ伏せて殺したり、自分の境遇のイライラをはらすために町にでて無造作に人を包丁で切りつけたりと命自体をモノ扱いするありさまを見ていると法滅の時代を象徴している出来事であり釈尊の予言通りだなぁと管理人は感じています。

 

「今」という言葉をカシオのEXーWORD電子辞書の日本国語大辞典で検索すると「過去と未来の境になる時。」と解説しています。

仏教では三世の生命として説かれています。

過去世の行いの結果が現在であり、来世の結果は現在の因により確定するというものです。来世も必ず人間として生まれるかは、今の因によるということ。

父・母を殺す、阿羅漢(悟りの境地に達した人のこと)を殺す、僧の和合を破る、仏身を傷つけることを五逆罪といい、これを犯すと無間地獄に落ちるそうです。

無限地獄を電子辞書でひくと、八熱地獄の第八番目、最下底の地獄で五逆罪を犯した者がここに落ち、一劫の間無断なく責苦を受ける所とでてきます。

気が遠くなるほどの間、無限の苦しみから逃れられないということですから本当に怖いですよね。

人は、臨終を迎えるときに仏様に仕えてきたものは千仏の仏が迎えにきて成仏することができるが悪業を積み重ねたものは閻魔王の使いである獄卒が迎えにくるため死ぬ間際に目が上を向き口を大きく開けたままの状態で苦しみながら亡くなる等と臨終の相に来世の結果がでると説かれています。

臨終を学んでから仏法を学びなさいという仏様の言葉が妙に腑に落ちます。

一番恐れないといけないのは、無限地獄行が確定した人は現世で罪を重ねても厳罰がでないということ。

人を殺めて刑務所に入り、罪をつぐなえばそれで終わりと思っていても仏様は生前の行いをすべて人間の両肩に派遣している具生神に記録させているため仏法の裁きから逃れられることはできないのです。

人間は、生きているだけでも多くの命をいただきながら命をつないでいるので地獄行の因をたくさん作っているんです。

また、地獄の苦しみは人が血を吐いて死ぬほどの苦しみであるため、釈尊はあえて詳しく説かれなかったようですね。

 

普通に生活していても地獄の因を積んでいると言われていますから人殺しなんてもってのほかですね。

来世は、目の前にいる犬・猫で済めばよいですが生を受けることができない状態が何億年もつづく苦しみに合わなければならないかもしれません・・・

 

ざっと駆け足で仏教のことに触れましたが、私の記事をきっかけとして少しでも宗教に興味をもっていただき自分の人生を幸せにするためのきっかけの手助けになることをお祈りしていったん筆をとめたいと思います。

 

最後までご精読、ありがとうございました。

 

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